昭和40年10月20日 朝の御理解 ★
信心は聞いただけでいかず、言うただけでいかず、ただ、と言うて、力んだだけでもいかず、言うたり、聞いたり、また、あー、力んで、それが行の上に本当に現されなければ、値打ちはない。例えて言うなら、あー、ラジオを聴く。あー、実況の例えば放送を聴く。言わば、手にとるように説明をしてくれるけれども、それが目に見えたらまだ、言わばテレビのようなもんで、ね、だから、それだけでもいかん。
それが自分のものにならして頂くために、行の上に現すためにはやはり、ひとつの力みがいる。まあ修行である。少し勉強をする、少し、例えば信心で言うならお道の本でも読んで、はあそんなものかなあと。はあ、今まで知らなかったといったようなことを、言うなら(?)身につける。いわゆる話を聞いて、それを、例えばそれを知ると。そうするとそれをですね、それを人に話したい、それに人を、人にも分からせ、分からせたいといったような、あー、今日★私はそういう生命があるということを頂きましたね、人間には。生命とは命と書いてある。うん。
から、人に分からせたい、人に分からせたいという時にはですね、あれは自分のものにまだなってない時、人はひとつも分からせん。自分が分かって有り難いというものにならなければ人は分からん。もう特に教学なんかやりますとですね、いろんなことを覚えるからそれを人に話そうとしたこて、そして自分だんもう、信心ができあがったごとなる。
はあもう本当に、ジェスチャーたっぷりに、ああだからこうだからと、金光様のお取次ぎとはこうと。例えばんなら、金光大神なら金光大神、椛目の人はあんまり勉強しませんもんね、皆さんが。もう普通ではあの金光大神と、厚い本でございます。まあお道の聖典と言われとります。いわゆる教学がだんだん盛んになってまいりまして、もうお道の信心をするならば金光大神の一冊くらいは読破しとかなければ、一ぺんぐらい目を通しておかなければ、あー、信者としての、おー、もう当然それだけのことはされねばならんと。
この頃から「福嶋さん?」が、まあ言うておられておる。教務所の方へ行かれる時に、あちらの社長先生が椛目のご信者さん方は金光大神は皆持っておられますかっち、はあ、信者はもう皆一冊ずつ持っとりますと、はあそりゃいいですねって、そげなお金ありませんと言うて、配信されたから、もし聞かれたら椛目の信者は必ず金光大神を一冊ずつ持っておると言うて下さいと、言わして下さいといったようなことを言うておられました。
椛目では何人持っておるでしょうか、いや、まあだあれを読破した人っていうのはひょっとするとないかもしれません。あれを一ぺん、通り読んだという人、もう沢山なことが書いてございますね。別に説明したわけじゃない、金光、教祖の神様の、おー、ご信心、それから、その、お生活、または、あー、御教えというようなものが、どういうようなふうにして、この教典が出来たとか、教祖の神様の、もうその、ご信心ぶりとこう人柄がです、もうこれは細大もらさず、こんなことまでは皆に聞かしていくまいと言われて、それはもうこの、おー、秘密に、いやまあ秘密にされておったようなものまでが、あの金光大神の中に出ております。
もう記録を元にして、実際にできたのがあの金光大神ですよね、それで、まあ言うならばちいとばっかり、こう、「福島さん」あたり読んでおられるのじゃないでしょうかね。だからもう新しい知識を身につけたと思うておられるもんじゃけん、もう、この頃から、あの、富永先生が来ておられましたですね、大祭からそのあくる日までおられて。もうその、金光様の先生つかまえちからでん、あんたどんこげなこと知っとるのっち言うちからその、言うておられたという話を聞いたんですけれども、それがなにしろ、「福島さん」のものになっておるとは思われない、ただ知られただけのこと。
けれども、却って、えー、その、そしたら田村さんか何か横におってから、お前何、寝言言いよるんかっち(笑)、金光様の先生つまかえち、お前寝言言いよるかっち、お前が何ば知っとるかっち言うちからその、ああその、(?)ですもん言いよることが。しかしもう、よう言いよんなさったと私は思うんです、ね。金光様の先生つかまえて、あなた、金光大神ば少しばっかり読んだからと言うてから、ね、本当にそれが自分のものにならせて頂いて、金光大神読ませて頂きゃあいよいよ有り難うならして頂いて、もうそれでよいのである。
それで、分からせようじゃあない、自分がそれが、その、本当に自分をその、おー、何かの機会に金光大神にこう出ておるっちゅう、本当に、有り難い教え、道に縁を頂いたもんじゃあるというような話をすりゃあ、もうそれ、皆がそれを頂くでしょう。分かるでしょう。けれども、あんたどんこげなこと知っとるのっちてから、言うからです、ね、理屈ばっかり言うちからというようなふうなことになっていきかねないのです。
言わば、本当に、うーん、確かにそうですね、竹内先生やったらつかまえてからでも、いつか、言われたことがあるが、そういう意味でなら勉強しちゃいけんと思うですね、椛目の信心ぶりでいくと。生神金光、その読んだっちゃいかんとこう思うです。もう私は横から行って、袖引っ張るごとあることがあったですけれどね、それは熱心なということは有り難いけれども、それだけが知ったから何もなりゃしません。
それはちょうど、ラジオを聴いただけではなくて、まあ言うならテレビまで観たような程度のようなものであって、それでは何もなりません、ね。そういう命が、そう、私はその意味がよくは分かりませんけれども、自分が分かりえたこと、分かったことを人に分からせようとする命と、これはもう非常にいけませんですね、大体は。
そういう意味で椛目の信心なんかは、なるほど神様から頂かしてもらうということも、私の信心内容から、神様は下さるのであり、だから、私も理解ができるのです。だから、私もそれが有り難いと分かるのです。それを、言わば、こうして皆さんに聞いてもらうのです。
今日は、菊栄会の、私は最近思うのですが、非常に、あの、菊栄会に皆が魅力を感じておることですね。どうかして、自分も菊栄会に入りたいち。ところがなかなか、これはその、なかなか入れませんです。もう特別のご神意がなからなければ入れんようですね、菊栄会には。それは椛目の美登里会によう似と、まあ美登里会の方達が、本当に、いー、朝の御祈念にでも一生懸命お参りさして頂いて、いよいよ信心を美しゅう、うー、と言やあ椛目の、おー、自分の心の故郷として、椛目通いが楽しゅうてたまらんといったような人達の集いでありますように、以外の人はその、ない、意味が分からんです、ですから。これ菊栄会がそうです。まあ言うなら椛目の親衛隊です。親を守ると、隊ってそういうふうな字で言うならばです。ですからこの人達の場合はですね、もう例えば聞きもする、言いもする、行いもする、というこの三つがまあ、足ろうていく、もうそのことを願っておる人達の集い、そんな感じです。
もう本当に行の上に現していく人達です、ね。いわゆる、言うだけじゃないです、同時に私は中心だと思いますね。中心が魅力を持っておりますもんね、会長が。椛目の言うなら、皆さんもご承知のように、朝参り、夜参りするわけじゃないですけれども、もう実際仕事の上に現していきよりますもん、信心を。そうすっと、人柄ですね。とにかく、あのう、昨日、誰だったか、あー、原さんだったでしょうか。昨日、小倉行きの、帰りにちょうど、文男先生が横にかけよりましたから、そのお取次ぎの話を、ちょっと、まあ頂いて来たと、おかげ頂いたといったようなことを言っておられたが、もう一人一人がそういう魅力をもってるんです。
ですからもう、言うなら、例えば青年会の、おー、幹部の方達なんかはもう、菊栄会に入ること、もう入ることを一生懸命願っておりますですね。また、入れれるような信心を頂きたいと願っとるですね。なるほど、菊栄会でありますね、なるほど美登里会でありますね。もう本当にその会の名がです、名がその人達の信心内容を現しておる、そんな感じがいたしますしね。あれはもう何と言うですか、私は、本当にあの、菊栄会なんかだん、そして、皆さんがもう私によう分かることがあるんですね。
もう菊栄会にどうでもその、入りたいという、その、人達が、もうその、非常にその、熱中、かけておるわけですね、何か、機会が、機会があったら、チャンスがあったら、その、入会したいっち。けれども、あるひとつの、まあ何ちゅうですかね、線があってです。これが越されなければ許されない。
今度、おー、次は「みつおさん?」がおかげを頂くようになったんですね。もうこれなんかもうそれこそ、いつもタイミングの素晴らしさというですかね、うん、また、内容も菊栄会に相応しい内容を持ってるですもんね、この人は。だから本当にこれが、慢心することなしに、本当、現在のままで、本当に、いー、言うことと、この人達の場合なんかは言うことよりも行うことの方が先です。それが素晴らしいですね。
もう言うておる時には実際もうしておる時です、あの人達は、ね。だから、言うばっかりの命でもいかん、聞くばっかりの命でもいかん、それが行に現される命。これはもう、金光大神への過程の、大変素晴らしい過程だと思います。もう人に分からせよう、人に分からせようというような命はいけません。だから、そこまでその、分かるということ、だからそれを自分のものにすることになれば、素晴らしいです。
お互いが、ラジオを聴いておる程度の信心じゃないだろうかと、いや、テレビを観ておるぐらいのところまではおかげを頂いた、ね。それを自分のものにすることのために、私は言うことと、聞くことと、ね、それからそれを、自分のものにする、行の上に現していくことの、おー、(さんびき?)と信心がですね、お互いの身についていかなければいけないと思うです。
今日は、あー、菊栄会ですから、んー、まあこんな意味の御理解を頂いたのかもしれんと思いますけれども、んー、本当に、あの、菊栄会の信心には椛目で信心さして頂く人達がです、一応はああいう精神を受け、身につけたい。なるほど、自分達もおかげ頂かなきゃならんどころじゃない。けれどもですね、それにも増してとまではまだいかんかしれませんけれどもですね、もう椛目の、言わば菊栄、椛目が栄えるということにですね、もう本気で、言わば椛目では一番願っておる人達の集いといったような感じです。
言うならです、いよいよん時には、私共がおりますからと胸を叩けれる人達ばっかりの集いだということです、ね。少し褒めすぎたようですけれども、そういう、言わば雰囲気をもった会ですね。ですから、そういう、んなら信心がです、銘々の上にできなければいけない。それ、できるそのことが信心でしょうが。おかげ頂かねばなりません。
明渡 真(7/13)